2018年9月20日木曜日

園だより 9月号 『老犬の存在』


老犬の存在



 日本基督教団早稲田教会の上林順一郎牧師は、次のような話を記しておられます。 

 ある日、新聞の折り込みに、「犬を探してください!」というチラシが入っていました。それには、犬の似顔絵入りで、その種類、体つきや毛の色、そして18才になる雄犬であり、背中が曲がっていて、耳が遠く、目も不自由で歯も十分でなく、後足はいつもヨロヨロして歩くという特徴が記され、そして、最後に、「見つけて下さった方には、この犬が死んでいても、失礼と思いますが、3万円のお礼を差し上げます。」と記されていました。

 人間であればまだしも、犬に、それも、間もなく老衰で死んでもおかしくない犬に、多額のお金を折り込みチラシに使い、そのうえ、見つけてくれた方へのお礼など、考えて見れば、無駄でもったいないと言えるかも知れないが、無駄の中に、もったいないようなことの中に、飼い主の犬に対する深い愛情と優しさを感じてうれしくなったとおっしゃっておられました。



 いかがでしょう。上記のお話を読まれた時、皆さまも上林先生と同じように、どこまでも拘わろうとする飼い主の姿の中に、犬に対する大きく深い愛情を覚えられたと同時に、心温まる思いを感じられたのではないでしょうか。「背中が曲がっていて、耳が遠く、目も不自由で歯も十分でなく、後足はいつもヨロヨロして歩く。」そんな犬のための「「探し犬チラシ」を考えた時、人の心には何が浮かんで来るのでしょうか。

 ふと、この犬と自分を置き換えて考えてみました。老衰に近い犬の年齢、それに加えて身体もボロボロで、生きていても回りのお荷物でしかない状況に置かれた時、チラシ広告を出して探し求められたとしたら、本当に嬉しいと思うでしょう。この犬をとおして、そこに深い優しさや大きな喜びが広がり、生まれ伝わってきます。

 幼い子どもたちの心は、今のお父さん、お母さん、そして大人の姿をそのまま見つめています。「「背中が曲がっていて、耳が遠く、目も不自由で歯も十分でなく、後足はいつもヨロヨロして歩く」者への優しさに気づくのは、大人だけに限ったことではありません。それを見つめている幼い子どもたちがいます。幼い頃からの積み重ねが、優しく愛おしむ心を育むことでしょう。           (園長)